ピクサー

ディズニー史に一撃を放った『ソウルフル・ワールド』という救い

2020年12月25日、日本時間17:00、動画配信サービスディズニー+にて、ディズニー/ピクサー新作映画『ソウルフル・ワールド』が公開されました。

出典:https://disneyplus.disney.co.jp/program/soulfulworld.html?ex_cmp=dp_dis_web_top_soul

本来であれば、通常通り劇場公開する作品でしたが、コロナ禍の状況を受け、配信での公開となりました。

公開から遅れること2日、わたしも自宅で鑑賞しました。

その感想と、この作品がやり遂げた偉業について書いていきたいと思います。

※ここから先は『ソウルフル・ワールド』のネタバレを含みます。ぜひ、ディズニー+で作品をご覧になってから読み進めてくださいね。

ソウルフル・ワールド』の偉業

生きる意味って何?

結論から言うと、『ソウルフル・ワールド』はこれまでのディズニーの代名詞であった「夢は必ず叶う」を打ち破ってくれました。

『ソウルフル・ワールド』は、公開前の予告や前情報からすると、アイデンティティの模索や生きがい探しのストーリーのように見えていました。というか、そのように見せていたのかも。

主人公ジョーが、自分自身がなくて迷走する22番に生きがいややりがいを教えてキラキラして終わる、いかにもディズニー的なストーリーなのかと思いました。

ところが蓋を開けてみると、全く逆のストーリーでした。

ジャズピアニストとして憧れのステージに立つ夢を叶えたジョーは、夢が手に入った途端、それが魅力を失うのを感じます。

自分が生きる意味が分からなかった22番は、ただ歩くことやピザの匂い、舞い落ちる落ち葉の美しさに生きるときめきを見つけます。

そうなんですよ、人生って、この2点なんです。

生きがいはなくちゃいけないのか

ジョーの夢は明確でした。ジャズが好きでピアノが好きで、ステージで演奏することが夢でした。

その夢があることで、それを叶えるためにがんばることが生きがいであると信じていました。

もちろんそれは素晴らしいことなんです。ただ、夢や目標の恐ろしいところは2点あります。

それは、

  • 夢を叶えることに注目しすぎて日常が通り過ぎてしまうこと
  • 夢を叶えたそのあとが空虚になってしまうこと

ジョーはまさにこれに陥っていました。

夢を叶えることは素晴らしいことです。それはディズニーが長い歴史のなかでずっと伝え続けてきたことです。夢を見ること、それを追う姿は美しいのです。

ところがそれは必ずしも現実的ではありません。

夢があまりに現実とかけ離れていることもあります。夢があまりに壮大すぎることもあります。それでも夢を見てそれを追い続けることが果たして人として生きる上で幸福な生き方であると言えるのでしょうか。

「夢は叶う」の呪い

わたしは幼少期からディズニーが大好きでした。しかし、「夢は必ず叶う」というディズニーの呪文には疑問を抱き続けていました。だって叶ってないから。

まともに生きている人間なら分かることですが、夢は勝手に発生しませんし、勝手に叶うこともありません。自分の器に合った目標を立て、それを叶えるために努力をすることが大切になってきます。

もっと言うと、夢は形を変えるものです。その時の自分の年齢や立場、環境によって大きさを柔軟に変えていくべきなんです。10代20代のエネルギッシュなときと、家庭を持って落ち着いたときの夢は違って当たり前です。それは決して諦めた訳ではないのです。

世の中には、大きな夢を持とう! きらめく目標に向かって充実した人生を送ろう! などという、呪いの言葉が蔓延っています。ディズニーもここに加担していたのかも知れません。

では、夢や目標、生きがいって、必ずしもなくてはならないのでしょうか?

誰もが大きな目標に向かってキラキラ歩んでいなくてはいけないのでしょうか?

22番が見た世界

その答えを出してくれたのが、22番です。

彼女は、経験がないあまり人間界を恐れ(これも人間あるある)、人間界に降りることを拒絶し続けていましたが、前提が何もない、ニュートラルな状態だからこそ、ジョーにとってはごく当たり前だった毎日の何気ない出来事にいちいち感動します。

そうなんです、わたし達の毎日は、感動で溢れているんです。

こう書くと綺麗事のようですが、22番が感動していた食事の匂いやキャンディーの甘さ、心を揺さぶる歌など、ごく日常的な出来事であるために、わたし達はいつの間にか慣れてしまっているんです。

人間の脳は慣れます。そして遠くを見ます。どこか遠くには、いつかの未来には、自分を満足させてくれる場所がある、満たしてくれる世界がある。そう思い込んでしまうのです。

そして、それが「夢」という名前を持ちます。

「夢」は遠い場所にあります。人びとは、そこに行けば幸せになれると思い込んでいます。けれど、「夢」は遠い場所にありますが、確実に「今」と繋がっています。つまり、今の自分を幸せにすることが未来の自分を幸せにすることであり、「夢」を叶えることだけに注目してしまうと、ジョーのように虚無感を感じることになってしまいます。

22番は正しかったのです。今の自分を取り巻く小さな幸せに気付くことが、こんなに自分をわくわくさせてくれる。劇中で言う「きらめき」であると。大きな夢や目標や生きがいがなくっても、人生は素晴らしいのです。

幸せに生きるコツ

さて、ではわたし達が幸せに生きるには、どうするのがいいのでしょう?

わたしは、ジョーと22番のいいとこ取りをするのがベストだと思います。

まず、夢を持つことは素晴らしいことです。それを目指しているときの努力はかけがえのない経験だと思います。けど、ジョーのように叶えてしまったとき虚無感に襲われていては、せっかく夢を叶えたのにあまりにも悲しいです。実はこれに対して、別のディズニー作品のキャラクターが答えを言っています。

それは、映画『塔の上のラプンツェル』にて、空を飛ぶ星を見ることが夢だったラプンツェルが言った、「夢が叶ったあとはどうしたらいいの?」という問いに対して、ユージーンが答えています。

「また新しい夢を見つければいい」

夢がひとつ叶ったら、その時の自分の形に合った夢や目標をまた作って、またそれを目指せばいいのです。大きな夢じゃなくていい、「その時の自分に合った夢」です。

そして、ただ夢をがむしゃらに目指して毎日をないがしろにしてしまっては、いけません。人生は夢を叶えるためだけにあるのではないのです、今この瞬間を楽しむためにあるのです。

そこで、22番のように新鮮な気持ちで毎日の小さなことを楽しむ気持ちが大切になります。当たり前になっている日常に目を向けて、ひとつひとつを楽しむことです。

だって、ジョーのようにいつ突然人生が終わりを告げるかわかりません。

わたし達の思考は未来を生きるものじゃない、今を生きるべきなのです。そしてその充実した毎日が、いつかの幸せな未来を作っていくのです。

叶えたい夢があって、毎日も幸せで楽しんでいる。これが最強だと思いませんか?

まとめ

『ソウルフル・ワールド』は、大きな偉業を成し遂げたと思っています。これまでディズニーが伝え続けていた呪いの言葉、「夢は叶う」に一撃をくらわせたのです。

果たして夢を叶えることだけが幸せなのか、生きがいのない人生は負け組なのか、その答えを現してくれたのがこの映画だと思います。

ディズニーの新しい歴史の一歩だなぁと勝手に思っています。

今作の監督、ピート・ドクターは過去作『モンスターズ・ユニバーシティ』や『カールじいさんと空飛ぶ家』でも、夢や目標の在り方を問いてきました。こちらもぜひ併せて観ていただきたいです。

『ソウルフル・ワールド』は他にも記事を書きたい場面がいくつかありましたので、またお立ち寄りいただけたらと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました!

嫉妬されたらバズを見習おう!ムカつく人の最強対処法

嫉妬って、するのもされるのも嫌な感情ですよね。

職場の人間関係や友人関係など、きっと嫉妬を経験せずに生きてきた人はいないと思います。

自分の中にむくむくと嫉妬が広がるのを感じるのも嫌な気持ちがしますが、もっと嫌なのは、他人から嫉妬を向けられることでしょう。

職場だったら仕事がやりにくくなりますし、友人関係ならこじれてしまうかも知れません。

この記事では、自分に向けられた嫉妬の乗り越え方を、大人気映画『トイ・ストーリー』を例に解説していきます。

正体を知れば嫉妬はこわくない!

そもそも嫉妬はなぜ起こる?

『トイ・ストーリー』の話の大筋は、主人公ウッディの嫉妬の感情で進みます。

ウッディといえば、おもちゃの持ち主、アンディのいちばんのお気に入りであり、おもちゃ達の唯一無二のリーダーでした。

本人もまわりもそれを認識している、誰もが認めるみんなのヒーローだったのです。

そこへ、最新のおもちゃでありスペースレンジャーのバズが現れます。

ウッディは、アンディにとっていちばんお気に入りのおもちゃの座も、リーダー格も、みんなからの人気も、一気にバズに奪われてしまいます。

こりゃあもう、嫉妬でしょう。

でもこの嫉妬の感情、なぜウッディの中に湧いてきてしまったと思いますか?

それは、ウッディが自分とバズを比べたからです。

よく「他人と自分を比べても良いことはない」というようなことを耳にしますが、まさにその通り。

比べると、自分になくて相手が持っているものが浮き彫りになってしまうのです。

ウッディでいえば、バズの新しさ、知識、カリスマ性などでしょうか。

自分が努力しても手に入らないものを自分で注目してしまい、劣等感に陥る。

これが嫉妬になっていくのです。

嫉妬を外に向けると人間関係は崩壊する

さて、自分の中に湧いてしまった嫉妬ですが、いちばん良くないのは、その感情を嫉妬の対象に向けることです。

いわれのない意地悪をしたり、きつく当たったり、無視をしたり。

ウッディもやってしまいました。

バズを机と壁の隙間に落とそうとし(この時点で結構卑劣だと思いますが)、アクシデントでおもちゃにとってとても危険な家の外に突き落としてしまいます。

この時の、まわりのおもちゃ達の反応が、とてもよく心理を現していると思います。

既にウッディの嫉妬心に気づいていたおもちゃ達は、誰もウッディの言い訳に耳を貸してくれません。

事故だというウッディを信じてくれない。

誰かに嫉妬の感情を向けると、このように、これまで築き上げてきた人間関係が崩壊してしまうのです。

嫉妬心を剥き出しにしている姿は醜いものです。

他人を認めることができず、自分が優れていると言わんばかりの、器の小さい人に見えます。

そんな人と一緒にいたいとは、誰も思いません。

さらに、今度はその嫉妬の対象が自分になるかも知れない。

こうして、嫉妬を剥き出しにする人は、周囲から人が離れていくのです。

嫉妬は上手に使えば悪いものではない

ではその嫉妬の感情、何がなんでも悪いものなのでしょうか。

わたしは人間に起こるすべての感情は大切なものだと考えています。

もちろん嫉妬も、使い方によっては活かすことができるのです。

冒頭で、『自分と他人を比べるから嫉妬が起こる』と書きました。

相手にあって自分にないものに気づくことで、嫉妬します。

つまり嫉妬の感情は、自分が欲しいものに気づかせてくれるのです。

ウッディの場合、最も嫉妬の感情を掻き立てられたのは、「トップの座」でしょう。

おもちゃ達からいちばん慕われている、おもちゃ達からいちばん頼られている。

何より、アンディのいちばんのお気に入り。

自分が欲しいもの、大切にしていたポジションを、いともあっさり持っていってしまったバズの、カリスマ性に激しく嫉妬したのでしょう。

また劇中、最新のおもちゃであるバズの機能性を、古びたおもちゃの自分と比べているシーンもありました。

ウッディはこれをそのまま嫉妬としてバズにぶつけてしまったので良くなかったですが、わたし達は賢くいきましょう。

自分の嫉妬の感情に気づいたら、何に嫉妬しているのか自分の感情をよく観察します。

例えとして、職場でいつもちやほやされている女性に自分が嫉妬したとしましょう。

自分は彼女の何が羨ましいのか?

周りにちやほやされていることが羨ましいのか、だとしたら、どうすれば自分も同じようにちやほやしてもらえるのか。

さて、ここで冷静に考えてみてください、答えは目の前にあるんです。

そう、嫉妬の対象はその答えを持っています。

彼女をよく観察してみましょう、彼女がちやほやされるのは、いつも笑顔だから、気がきくから、誰にでも優しいから、きちんと挨拶をしているから。

きっと答えが見つかるはずです。

その中で、自分にはなかったものが分かれば、真似して実行すればいいのです。

そしたら、嫉妬するほど欲しかったものを自分も手に入れることができます。

嫉妬されたらむしろ感謝!

さて、ではバズのように、何もしてないのに誰かから嫉妬を向けられたらどうしたらいいのでしょうか。

正解は、まさにバズがやっていた通りです。

バズはウッディが嫉妬をぶつけてネチネチ言ってこようと、淡々と自分を貫いていました。

これでいいんです。

先程も書いたように、嫉妬は羨ましいから起こります。

つまり、あなたを嫉妬する人は、あなたのことが羨ましくて仕方ないのです。

言い方を変えれば、嫉妬は称賛です。

あなたの方が上回っているから、周りが嫉妬するのです。

なので、嫉妬を向けられたら決して応戦せず、わたしのことが羨ましいのね、と思いながら堂々としていればいいのです。

そしたらバズのように、味方がたくさんついてくれますからね。

結論:

嫉妬されたらバズのように堂々としていればいい。

出典:https://www.disney.co.jp/

嫉妬されるほど魅力的な自分を認めてあげて、自信に変えていってしまいましょう!

これこそ、最強の嫉妬対策です。

あ、でも、たまに嫉妬の感情を持ってしまうのも、人間らしくていいことですよ。

ウッディが世界中から愛されているように。

最後までご覧いただきありがとうございました。